フル墨攻

「少しまとまった思いつき」を書きます

中高生メンタリティの維持を手助けするツールとしてのネット

 

話の流れ

このへんですかね。

●「うちら」の世界 - 24時間残念営業
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/08/06/155425

●「自分たちの世界だけで完結する」を学歴問題にしないほうがいい : ARTIFACT ―人工事実―
http://artifact-jp.com/2013/08/08/educational-background/

●冷蔵庫炎上事件と現代型非行 - Life like a clown
http://d.hatena.ne.jp/tt_clown/20130808/modern_yankee

とくに

彼らには「インターネット」という概念がよくわからない。よく言われることだが、たとえばTwitterならTwitterという「個別のアプリケーションがある」というのが彼らの感覚である
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/08/06/155425

というのは重要な指摘という気がした。
スマートフォンの普及で「ネットサービス」をたんなる「アプリ」として認識するようになると、それはツールでしかなく、背景にある「場」としてのネットは「よくわからない」ままになる。

自分たちのコミュニティを維持する

若いころからネットがあって、そこにあるサービス(SNSとか)が
「仲間ウチの世界を維持するためにどんどん進化している」世界
というものについてツイートした。






コミュニティと規範

で、こういったコミュニティをひきずったまま大人になると、そのひとのメンタリティは中高生ぽいものとなってしまうだろうし、そういう仕組み(つまりネット)があらゆる若年層に浸透してしまえば、中高生メンタリティもまたあらゆる階層で観察できるようになる。

現代人全体が、以前よりも幼稚化しているように思えます。以前の大学生ならしないような、中学生並みの悪ふざけを、大学生アルバイトがしてしまうこともあるでしょう。
悪ふざけ店員はなぜ続出するのか?:若者の心理とネットコミュニケーションの罠(碓井 真史) Yahoo!ニュース
( http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20130808-00027123/ )

もし大学生が昔よりバカになってるとしたら、それはネットによる暴露で「可視化されただけ」ではなく、「中高生メンタリティの長期化」による可能性もある。このへんは「たんに可視化されただけ」なのかどうか、よくわからない。

あとおれの感覚では「ヤンキー」というのはかれらの中高生メンタリティを維持するための仕組みであり、外部(ヤクザから企業まで)によってそこからの卒業させられるまでの一時的な場所(モラトリアム空間)で、彼らのルールというのは多分に構成人数に左右される。
とすると、ヤンキー集団がより細分化されたことにより、ルールがゆるくなったというふうにも解釈はできる。実態はしらない。

従来の「ヤンキー集団」とこの「ウチの世界」の集団との差は、前者が厳しい上下関係など一定の規律を持つ集団であるのに対して、後者は異常に「空気」を読み合う、言わばお互いに腫れ物を扱うような希薄で不安定な集団と言う事になります。後者のような集団だと、誰かが非行(犯罪)を行おうとした場合、その場の雰囲気を白けさせるのではないか不安になって拒否、あるいは戒める事ができず、ブレーキ的な機能はほとんど期待できません。
冷蔵庫炎上事件と現代型非行 - Life like a clown
( http://d.hatena.ne.jp/tt_clown/20130808/modern_yankee )

ルールのゆるいちいさな集団にはよりあいまいな「空気」が介在するので、そこに「雰囲気に流される」という逸脱が生じる。

そしてコミュニティへの「浸かり方」が長く深いほど、強制のともなう上下関係のコミュニティ(それにいつまでそこに属しているかわからない)よりも、今までずっと属してるなじみ深い横つながりコミュニティを重視するようになるだろうし、もしかしたらそこに"もてるエネルギーのすべて"*1を注ぎ込んでいるのかもしれない*2

そうなると、かつてのような「大きなヤンキー集団」というものは存在しなくなるだろうし、反社会的な迷惑行為は減るかもしれないけど、「雰囲気に流される」タイプの逸脱は増えていくのかも。

「周りの雰囲気に流されて殴った」
ゲンダイネット
( http://gendai.net/news/view/109129 )

そしてヤンキーにとどまらず、ふつうのワカモノ全般が「中高生メンタリティ」のなかにあるとしたら、社会人になったときにいろいろとめんどくさい感じになるのかもしれないなあとか思うのでした。

この社会が今まで
「家庭から学校、学校から社会へというコミュニティからコミュニティへ段階的に進んでいくことによる成長
を個人に期待して成り立っていたとしたら、こういった変化はなにをもたらすんだろう。
もちろんいい面もたくさんあるんだろうけど。

*1:現代社会の「個人化」と親密性の変容――個の代替不可能性と共同体の行方―― 小田亮 - garage sale ( http://d.hatena.ne.jp/araiken/20130106/1357487712 )

*2:もっとも「エネルギーのすべて」を注ぎ込んでいなくても、そもそもの「社会規範」が自分の属しているコミュニティから学んだものしかないのだとしたら、外部の規範へうまく対応できないだろうけど。